境界知能とは?木村汐里さんの作文から考える“見えにくい生きづらさ”
わたし渡邉登代美は西暦2000年の26年前に4度の手術後、半分寝たきりになった時に栄養不足と毒の溜まりすぎが病気の原因だったことを知りました。
その後元気になり、健康アドバイザーとして2001年から25年、たくさんの人に関わっていく中で、健康に良いツールのサプリメント、抜けない水素水、波動療法、
運動療法、心理学療法、ヒーリングに出会いながら、時にはアメリカまで行って勉強しました。
そして健康は一つの角度からだけでなく、様々な角度からのアプローチが必要と気づきました。
真の健康は心の健康、体の健康、魂の健康が揃ってこそだと思い、その大切さ、そのことを伝えるべくブログを書いています。
ですのでわたしのブログは心の健康、体の健康、魂の健康をテーマに書いています。
木村汐里さんの作文「狭間にいる私」は、知的障害とは診断されないけれど、
日常の中でたしかに困りごとを抱えている人の存在を、私たちに静かに問いかけています。
境界知能とは、一般的に平均的な知能と知的障害のあいだに位置するとされる状態を指す言葉です。
見た目ではわかりにくいため、「努力が足りない」「なぜできないの」と誤解されやすく、
本人も家族も長いあいだ苦しんでしまうことがあります。
けれど本当に必要なのは、責めることではなく、理解することです。
この記事では、境界知能とは何か、なぜ生きづらさが見えにくいのか、
そして家族や周囲がどのように寄り添えるのかを考えていきます。
境界知能とは何か
境界知能という言葉、ご存知ですか?
境界知能とは発達障害の場合は、グレーゾーンと言うようですが、
境界知能との違いは医師によって定義は様々のようです。
まだ新しい分野と言うか、わりと最近わかってきたことではないかと思います。
一般に知能指数は85~115が平均で、70を下回ると知的障害にあたるとされています。
その狭間(はざま)に位置するのが境界知能の人たちです。
つまりは70~84の方たちと言うことですね。
狭間ゆえに、認知もされず、周りも本人さえもわからず
とても苦しんでいる方たちがいるということを知りました。
しかも推計1700万人いると言います。
1700万人もの人が、社会的支援が乏しく、生活に困難を抱えていると言います。
境界知能とは、一般的に知能指数が平均より低めでありながら、
知的障害の診断基準には当てはまらない状態を指す言葉です。
ただし、境界知能は病名や診断名ではありません。
大切なのは、数字だけで人を見ることではなく、その人が日常生活のどこで困っているのかを見ることです。
たとえば、説明を一度で理解するのが難しい、計算や読み書きに時間がかかる、
段取りを組むことが苦手、人の言葉の裏側を読み取りにくいなど、困りごとは人によって違います。
けれど、見た目ではわかりにくいため、
周囲からは「やる気がない」「努力が足りない」「甘えている」と誤解されることがあります。
この誤解こそが、本人の心を深く傷つけてしまうのです。
境界知能を理解する第一歩は、「できないことを責める」のではなく、
「どこでつまずいているのか」を一緒に見つけることです。
木村汐里さんの作文「狭間にいる私」が伝えていること
苦しんでいると言うのは、今まで、こういう状態の人たちがいると知られていなかったからです。
気づかれていなかったからです。
先生や親からすると、発達障害でもないし、
何で真面目にやらないのか
何でわからないのか
何でできないのか
その子が不真面目だとか、話を聞いていないとかその子の態度が悪いとなってしまいがちです。
それが何を意味するかと言うと、誰からも理解されずに一人ぼっちで苦しむと言うことです。
誰からも理解されないということは、誰からも手も差し伸べられないです。
こんなこともできないのか
何度も説明しているのになんでわからないのか
そんなんではお先真っ暗だよ
というような心無い言葉をどんどん言われてしまう。
できないことに対して反省文迄書かせる先生もいます。
不登校になるのは当たり前だと思います。
生きていたくなくなると言う心の叫びに、私も胸が痛みます。
木村汐里さんの作文「狭間にいる私」が多くの人の心を打つのは、
境界知能という言葉の奥に、ひとりの人間の苦しみと願いがあるからだと思います。
境界知能の人は、まったく何もできないわけではありません。
会話ができることもありますし、家事や仕事をこなせることもあります。
だからこそ、周囲は困りごとに気づきにくいのです。
「できることもあるのに、なぜこれはできないの?」
その問いかけが、本人をさらに苦しめることがあります。
けれど、人にはそれぞれ得意と不得意があります。
計算が苦手でも、人の気持ちに敏感な人もいます。
段取りが苦手でも、丁寧に繰り返すことが得意な人もいます。
境界知能について考えることは、能力の高い低いを測ることではなく、
人を一つの物差しだけで見ないということでもあります。
「努力不足」と誤解されやすい見えにくい生きづらさ
昔、わたしの知人に酷い皮膚疾患で痒みも辛く、鬱を繰り返している女性がいました。
彼女もとにかく辛くて、でもどうしてそうなるのかわからなくて、心身共にまいっていました。
その上、両親からもキツイ言葉を浴びせられ、
「どうしてお前はそんな風に鬱になったり、皮膚が酷くなるんだ!」と
たびたび責められていたのですから、たまったものではないです。
本人だって好んでそうなったわけではないのに。。
でもある時、両親が、霊能者にみてもらったら、霊のせいで病気になっていると言われたそうです。
そうしたら両親は急に態度を変えて
「霊のせいだったんだ。怒ってしまってごめんね」とあやまってきたそうです。
そこからは彼女の病の苦しさに理解を示すようになったというのです。
わたしはそれを聞いて驚きました。
霊のせいで安心したという内容もびっくりですが、霊のせいだと、誰かにはっきり言われることで、
それが原因だったんだ、それなら仕方ないと納得するんだと2度びっくりしました。
よく病気に名前がつくと安心すると言いますが似ていますね。
相手を少しでも理解すると、理解されたほうは途端にとても楽になります。
みな、自分の居場所を求めているのです。
彼女の場合は霊のせいで病気になっているという人たちの居場所に入れ、両親はひとまず安心したのですね。
なんともなあですが。。。これが現状です。
居場所があれば、そこが今侵されているから支援を頼むとか
そこをもっと良くしたいからこうして欲しいと具体的な形ができていくのかもしれませんんね。
境界知能の生きづらさは、本人の中だけにあるのではありません。
むしろ、周囲の、無理解によって大きくなってしまうことがあります。
たとえば、何度説明しても理解できない人に対して、
「ちゃんと聞いていない」
「普通はわかるでしょう」
「何回言えばわかるの」
と言ってしまうことがあります。
けれど、本人は怠けているわけではありません。
理解の仕方に時間がかかったり、抽象的な説明が入りにくかったり、
頭の中で順番を整理するのが苦手だったりするのです。
この違いを知らないまま叱り続けると、本人は自信を失い、自分を責めるようになります。
そして、心を閉ざしてしまうこともあります。
本当に必要なのは、強く叱ることではなく、伝え方を変えることです。
短く伝える。
一度にたくさん言わない。
紙に書いて見える形にする。
手順を一つずつ分ける。
できたことをきちんと認める。
それだけでも、本人の安心感は大きく変わります。
家族や社会に必要なのは、責めることではなく理解すること
境界知能はほんの一部の人たちがようやく知り始めたばかりです。
NHK障害福祉賞で優秀作品に選ばれた、木村汐里さんの「狭間にいる私」を読むと、
彼女の幼少期の辛さ、中学時代の地獄のような日々にどんなに辛かったことだろうと思います。
同時に彼女の文章、言葉は光を放って、「見えにくい生きづらさ」を写しだしています。
とてもわかりやすく書かれています。そういう才能、力が彼女にはあります。
別の方ですがYouTubeでは
「自分は境界知能だからこういうことができて、こういうことはできない」と堂々と言って、
恋愛したり、稼いでさえいる、たくましい人たちもいます。
が、木村さんやユーチューバーとして出ている人はほんの一握り。
わたし達はまだまだ知らないことがたくさんありますね。
全部に対応できるわけではないですが、知ったことは、
少しでも理解を示していくべきだと同じ世界に暮らす身として思います。
この世界を創っているのは自分だとも言われています。
その自分の世界の登場人物である人達がみんながそれぞれに、楽しく暮らせたらどんなに良いか。。
木村汐里さんが文章の最後に書かれた
自分を心から愛せる人であふれさせるため、自分は叫んでいる
という内容に共感します。
自分を心から愛せる人で溢れさせられたら、世界はどんなに輝くことでしょうか。
そういう世界をわたしも望みます。
境界知能の人に必要なのは、特別扱いではありません。
必要なのは、その人に合った理解と工夫です。
家族や周囲ができることは、まず「なぜできないの」と責める前に、
「どこが難しかったのだろう」と見方を変えることです。
言葉だけで説明して伝わらないなら、紙に書いてみる。
数字が苦手なら、一緒に確認する。
予定がわからなくなりやすいなら、カレンダーやメモを使う。
感情が混乱しやすいなら、落ち着いてから話す。
こうした小さな工夫が、その人の生きやすさを支えます。
そしてもう一つ大切なのは、本人の中にある光を見ることです。
苦手なことばかりに目を向けると、人は自分を嫌いになってしまいます。
けれど、得意なこと、優しさ、まじめさ、感受性、続ける力に目を向けると、
その人の人生は少しずつ開いていきます。
境界知能という言葉は、人を区別するためのものではなく、理解するための入口であってほしいと思います。
境界知能は“できない人”ではなく、理解されにくい人
人は誰でも、見えないところに傷や不安、言葉にできない苦しさを抱えています。
境界知能というテーマを通して見えてくるのは、「人を一つの物差しで見ない」という大切なまなざしです。
もし、家族関係や人間関係の中で、なぜか心が苦しくなる、相手を責めてしまう、
自分を責めてしまうという方は、一度ご自身の内側の声に耳を澄ませてみてください。
ヒーリングやリーディングは、誰かを判断するためではなく、
心の奥にある本当の思いに気づくための時間です。
理解されなかった痛みをほどき、自分にも相手にもやさしい見方を取り戻すことで、
人生の流れは少しずつ変わっていきます。
私がお伝えする、ヒーリングや健康情報を詳しくお知りになりたい方はこちらまでお問合せお願いします。
よくある質問
Q1. 境界知能とは何ですか?
境界知能とは、一般的に平均的な知能と知的障害のあいだに位置するとされる状態を指す言葉です。
医学的な診断名ではなく、知能指数だけで人を判断するものでもありません。
大切なのは、本人が日常生活や学習、仕事、人間関係の中でどのような困りごとを抱えているかを見ることです。
Q2. 境界知能は発達障害や知的障害と同じですか?
同じではありません。
境界知能は、知的障害の診断基準には当てはまらないけれど、
平均的な理解力や処理力よりも低めの領域にあるとされる状態です。
発達障害とは別の概念ですが、困りごとが重なる場合もあります。
自己判断せず、必要な場合は専門機関に相談することが大切です。
Q3. 境界知能の人に家族はどう接すればいいですか?
まず大切なのは、「努力不足」と決めつけないことです。
一度にたくさん伝えず、短く具体的に伝える。
紙に書く。
手順を分ける。
できたことを認める。
こうした小さな工夫が安心につながります。
責めるよりも、その人がどこでつまずいているのかを一緒に見つける姿勢が大切です。
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