私達の光と闇の取り組み方(スターウォーズに学ぶ)

ヒーリング

この世は全て光と闇

スターウォーズの最終章を夫がビデオを購入していたらしく、連休に届きました。
連休中も何かと忙しかったのですが、大好きなスターウオーズ。
みないわけにいきません。

実は1月頃に、数年ぶりに夫と映画館で観た私。
スターウオーズは10代の頃からずっと観てきて、密かにフォースの力に憧れていました。

スターウオーズはどれも毎回良いのですが、今回は最終章だけあってかなり練られた、素晴らしいストーリーでした。

何が良かったって、全部良かったのです!

でもとりわけ、ラストシーンが良かったです。
悪いものを倒すという行為が、ともすれば憎しみを伴い、暗黒面に引きずり込まれる可能性もあります。
そこをクリアーできたラストシーンでした。

悪の感情が大好きな暗黒面の闇。
それに取り込まれないで、宇宙戦争をする、敵を倒す、戦うってどういうことなんだろうというのが、私の長年の問いでした。

その問いににしっかりした答えがあったのが、今回のラストシーンなのです。

コロナで揺れるのも光と闇の闘い

スターウオーズのメインテーマとして、光と闇の闘いがあります。

スターウォーズに限らず、実際、世界中に、そして、誰の中にも光と闇があります。
まれに光だけの人、闇だけの人がいるらしいですが、多くの人は、光と闇を巡っての攻防をあちこちで
繰り広げてきたのではないでしょうか。

コロナでは感染力自体の問題を越えて、不安、恐怖、心配、人を信じられなくなる、攻撃的になるなど、
意識の感染が広がりつつあります。

こちらのほうが怖いと、多くの識者は、コロナ問題が出てきた頃から言っています。
私もそれは感じます。

多くの人が闇に飲み込まれていかないよう願っています。

光と闇は誰にでも、どこにでも存在します。
その中で、どう光に近づくかが生きる目的ではないかと思うのです。

ところで

光とはなんでしょうか?
闇とはなんでしょうか?

光とはエネルギーであり、神であり、愛であるとCRAヒーリングスクールでは学びます。

闇とは重たくて動かない、他者を排除する、われ良しの思考から生まれるのではないかと思います。
ネガティブなものは闇。
自分だけが救われるために汚いことをするのがスターウォーズの闇。

でも闇も、光がないと生まれない。
不思議な因縁です。

闇と向き合うことが生きる目的

生きていると、気持ちが、あっちへふらふら、こっちへふらふらしてしまいます。
良いことがあると、嬉しいのはまあいいですが、悪いことがあると、それにとらわれて、どこまでも落ち込んでしまいます。

それはどうしようもないくらいに感情に支配されているからです。
ネガティブな思いは、隙あらば沸いてきて、あっという間に、思考を支配します。

特にうまくいっていない時に出てくる、心配、不安、恐怖、怒りの感情らは体をどんどん重くし、エネルギーを滞らせます。
それによってますます、落ち込みます。
スターウオーズでいう暗黒面にのみこまれそうになります。

スターウォーズは暗黒面に飲み込まれると、ダークなエネルギーに包まれ、悪いことしかやらない。
光を受け容れられなくなります。

ちなみに感情はフラットが一番良いそうです。

私がスターウォーズの中で、長年気になっていたのは、ダークサイド(=闇)を憎めば憎むほど暗黒面に堕ちてしまうという構図。

それでも闘わなければならないので、どうやって闘うのだろうということが今回、最終章で大いにスカッと満足させられました。
それは何かというと、主人公、レイのしっかりと、闇に向き合う姿勢でした。

闇を跳ね返す強さが成長、生きること

それは暗黒面の総大将に対して、両親を殺された憎しみの感情を持ちながら、実は自分は暗黒面総大将の孫娘であることがわかりながらも対決したラストシーンです。

宇宙を守るために立ち上がった孫娘、レイは、憎しみの感情のままだと、また弱い心のままだと、暗黒面へと導かれてしまいます。
おじいちゃんである、憎き悪の総大将に中々歯が立ちません。

憎しみとは苦しみです。
憎しみの気持ちにとらわれていると、その場から逃げたくなって、楽な方向にいきたくなります。
悪の総大将と共に、悪いことをしてしまう方が楽です。
自分の非力さもあると、暗黒面へと沈んでいくのが楽です。

ですが、レイは多くの死んでいった光の戦士達の命も受け継いでいるのです。
レイはその愛に支えられて、憎しみを越えたフラットな強さを取り戻していきます。

やはり、愛です!

そして暗黒面に取り込まれることなく、暗黒面の総大将を倒します。

そのやり方は、『跳ね返し』でした!!!

それは暗黒面の総大将の出した攻撃のエネルギーを剣で跳ね返したのです。
二本のライトセーバーという剣を交差して、ジワジワと強い力を取り戻しながら跳ね返したのです。

こちらから憎しみの剣を向けるのではなく、相手を上回る力で跳ね返したのです。

跳ね返すパワーも相当で、そこのシーンは長く思えました。
レイはその為、自分の力の全てを使い果たして、死んでしまうほどのパワーです。
(そのあと、カイロレンによって生き返りますが)

悪の総大将は、自分の放った、悪のエネルギーにやられてしまうのです。
自分の出したものは、まさに自分に返ったのです。

よくできている映画です。
よくわかっている映画です。

でも光と闇は映画の中だけのことではありません。

誰にでもある闇。
私はその中で、どう光に近づくかが生きる目的ではないかと思うのです。

そしてその闇は光によってわざわざ与えられたのではないかとまで思います。
自分を強くするために。
成長するために。

人は光だけでは成長する機会がないと思います。
だからその人、その人に与えられた闇がある。

でもそれはその人の光によって、もし与えられたなら、必ず克服できる闇だということも
言えるのではないかと思います。

その闇を克服するたびに、光はもっと強くなるのではないかと思うのです。
私はそうしていきたいと思います。

私のお伝えする、心、体、魂の健康情報を詳しくお知りになりたい方はこちらまでお問合せお願いします。

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