みちのくいとしい仏たちと祈り
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仏様と言えば
とても楽しい時間でした。
京都で1回みて、もう一度見たいと言う次女の勧めで、
東京ステーションギャラリーで開催の
「みちのくいとしい仏たち」展を見てきました。
仏様と言ったら、仏師や造仏僧が彫る、端正な顔立ち、お姿に、
煌びやかな装飾を施したものをお寺や神社で見たりします。
ご本尊と言えますね。
恥ずかしい話ですが、それだけが仏様だと当たり前に思っていました。
でもそれは江戸、京都、大阪、鎌倉等、
いわゆる中央と言われる地域の話ですよね。
また権力や富を持っている人達が信仰していたもの。
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みんな信仰心はある
ではそれ以外の人達にも信仰はなかったのでしょうか?
そんなはずはないですよね。
ご飯食べるのも、寝床作るのもやっとの暮らしだった時代に、
ましてや男女平等なんてなかった時代に、
みんなどれだけ、辛く苦しい思いをしてきたことか。。。
更には飢饉や疫病はそういった人達に重くのしかかっていたはず。
江戸の庶民でさえも死ぬとみんな地獄にいくと思っていた人もいたようです。
え?悪いことをしなくても。。と思いましたが、知識もなかったでしょうし
それだけギリギリの生活だったのではないかと想像されます。
そんな日々の中、みちのくの人達もどれほど拠り所が欲しかったことか。。。
寒く厳しい北東北のくらしが生んだ 、やさしい祈りのかたち、
それが「みちのくいとしい仏」たちとして、
東京ステーションギャラリーに展示されていました。
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厳しい中での祈りの形に表されたもの
その彫りの拙さやプロポーションのぎこちなさは、
単にユニークなだけではなく、
厳しい風土を生きるみちのくの人々の心情を映した
祈りのかたちそのものといえます。
と展示者は書いています。
本当にかわいい面白い仏様たちがたくさんいて、
厳しさ、辛さがあるからこその、
温かさ、優しさが心を打ちます。
木彫りの仏様の中には恵比寿様の持っている魚が、
鯛ではなく、尾っぽの形状から言って
まぐろだったりして笑いを誘います。
大黒天様のかついでいる、
七宝が入っていると言う大袋がぺしゃんこだったり。
怖い形相の仏様なのにもみじの柄の服を着せていたり。。。
微笑んでしまうものも多かったです。
でも中には背景から辛さがわかり、
それなのに優しさが滲み出ているような母子の
像もありました。
本当にどれも愛おしいです。
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愛おしい仏様たちと祈り
地方の小さな村々では十王堂(地蔵堂、閻魔堂)や観音堂など
集会所を兼ねた場所が人々の拠り所だったそうです。
こうした場所や民家の神棚に祀られた
十王、地蔵、観音、大黒天・恵比須などの木像は、
仏師ではなく地元の大工や木地師らが彫ったもので、
これを「民間仏」といいます。
みちのくの厳しい自然の中、
これほどまでに、柔らかに温かい仏様を作ってきたことに、
私は体の奥深く、魂の部分から震える気持ちになりました。
辛くても、そんなことを微塵も見せずに、
微笑みを与える、その尊さに。
私はその思いに勇気や希望を頂きました。
みちのくの人達の、魂を込めた仏様たちは、人々の霊性の表現だと思いました。
そしてそれらは、神聖な場所で、人々の祈りの中で、更に霊性が高まったのではないかと思われます。
それほどに祈りは尊いものです。
なぜならエネルギーが動くからです。
祈りそのものがエネルギーと言えますね。
みちのくの仏様たちは愛そのもの。
東京なら2月4日までやっています。
是非みて欲しいと思います。
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