どん底は全ての可能性が開くとき

心、体、魂の健康

どん底体験

うずまき塾の市川ゆうじさんが、

「どん底は全ての可能性が開くとき」と言われました。

確かに~と思います。

ただそのときはその真っただ中なので、必死にもがいているから

自分が見えないのです。

全ての可能性が開くときとわかっていたらなあ。

でもわたしのどん底のいくつかは良い体験へと変わりました。

そうです、わたしにもどん底何度かあります。

何もかもなくしたあの時

初めてのどん底は、夫の会社が倒産して、我が家が借金を背負ったとき。

社長は逃げました。

わたしは転勤した土地にも慣れて、郡山で楽しく仕事をしながら

わたしも子供たちも、お友達もでき、ワイワイやっていました。

でもある日会社の倒産が起きたのです。

千葉の自分の家も社長の借金のかたにとられ、帰るところもなくしました。

転勤先の福島県から義父母の家に無理やり入るしかなかったです。

その時はどん底だと思いました。

まさかでした。

全ての可能性が開くと思っていなかったです。

福島から義父母の家に移る時、全て捨ててきました。

大学時代、朝日新聞奨学生をしながら通ったのですが、

初めての給料で買った、丸井のお気に入りの鏡も捨ててきました。

全部なくして、悲しかったですが、家族4人の命までとられたわけではないし、

なんだかどこかで、心は軽くもありました。

どん底には執着もない

きっとあのとき、全ての可能性が開いていた時なんですね。

お陰様であのときは、越山雅代さんや多くの人に

良くして頂いて、何とか持ち直しました。

でも可能性が開いていたなら、なんでもやろうと思えばやれたんですね。

どん底の時は何もないから、執着がないから、

なんでも可能性を開くことができる時だったんだと、今ならわかります。

それほど、わたしたちは執着の中でがんじがらめになっているんだと

改めて気づきます。

がんじがらめの時は、それだけで動けないので、開くものも開きません。

どん底はいろいろなものをなくしているので、がんじがらめの鎖から

解き放たれている。

実は心も体も身軽で、本当は楽な時なのかもしれません。

どん底の何もないときは執着もないので。

状況はどん底だから最悪の状況と思ってしまいますが。

結局わたしたちは何が本当に良いか悪いかもわからないのですね。

これが良い悪いもないのだと思います。

結局全て体験

だから、すべての可能性が開いていたとしても、

何が良いのかわたし達にはわかりません。

どれを選んでいけばよいのかわかりません。

どん底のとき、みんな幸せになりたいと思っているけれど、

どれがその方角なのかやってみないとわからない。

新しい可能性が開いた時は、

ただ新たにきたものを直感で見極めながら掴んでいくしかありません。

スタート地点であり、学習していくというか、経験を積んでいくのですね。

そして、、、

新しくスタートさせたものはどれもまた学びがいっぱいのものなのです。

今、どん底にいると思う方、心配しなくていいのだと思います。

何かしらまた起きてきて

また新たな体験という冒険の出発に向かうだけなのです。

結局全ては体験なのです。

どん底を何度か体験してそのように思います。

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