純粋さがギュッと詰まった写真たち

心、体、魂の健康

気になったものにグッと近寄る

15年間ずっと保管されていた写真たちが、現代に語り掛ける物語。

みていて、そう、わたしは感じました。

「大人はこれができない」

宮城県石巻市の写真家、橋本照嵩さんの言葉。

何ができないかというと、

素直に、関心を寄せるものに純粋に行動にうつすことができないことかなと、
わたしは思いまた。

橋本照嵩さんは1996年から2009年まで
14年間子供向けの写真教室を開いてきた人です。

子ども達には使い捨てカメラを使用させ、写真を撮らせる。

「コツは気になったものにぐっと近寄ってパチッと写す」

刻まれた日々の写真展

子ども達は自分の関心のあるものに素直に近づいていって写します。
素直に見ているものに近づいて撮れる。

橋本さんは、これが大人にはできないと言います。

子ども達は、子ども同士でも、
気になれば、お互いカメラ越しだって写真を撮りあいます。

ポーズなんてつけない。

格好なんて気にしない。

感じたまま、ピンときたままに近寄っていくのです。

子どもは純真です。
子どもは天真爛漫です。

この子ども達が撮った写真を「刻まれた日々」と題して
橋本さんは写真展覧会を開きました。

思い出が返っていく

子ども達の写真教室を開いていた時に、ためた1100枚の写真、
いつか子どもたちに返そうと思っていたけれど、震災もあり返せずにいたのです。

震災で亡くなった子供もいるし、このままそっとしておこうかな、、
あー見なけりゃ良かったなと思う人もいるんじゃないかな。
それで迷っていたそうです。

でも84歳になり、このまま写真が消えていってしまうのは寂しいし、
この写真たちを公開しようと写真展を開催したのでした。

展示した写真は写っている家族や、撮った本人が持ち返っていいことにしている。

撮った人の手元にあるのが写真が一番自然な感じだからと。

写るのは東日本大震災前の町並みや人。

6日間で800人が足を運んで、650枚の写真が持ち返られ、
思い出がそれぞれに返っていきました。

純粋さがぎゅっと詰まった過去に触れ

震災で亡くなった娘さんが写真教室で撮った写真を見つけたお母さん、

「あーこれはこういう意図で撮ったのかもしれない。」
「この写真は自分の片腕を写してみたかったのかもしれない。」

久々の感覚。

というお母さんの言葉にじんと涙が出てくる。

生きていた時、娘をみて過ごしていた、察するような愛の気持ちの
感覚までが蘇ったのかなと、、、

そう思うだけでわたしも涙が止まらない。

お母さんの言葉は続きます。

「娘が写っている写真はあるけれど、娘が写した写真はなかった。
確かに彼女がここにいて、そういうことしたんだよね。
という証にも思えます」

娘がいたんだよね。娘がしたんだよねと。。。

「人は忘れてしまう。でもこういう子いたんだよねと思い出してほしいと言う
のは、願望としてはあります。」

「けどね、皆さん成長するし、日々の事があるからね。。。」
と一人頷きながらかみしめる母の姿。

ところが後日娘さんのお友達が、写真展に訪れて、娘さんの写真を見て、
娘さんとの思い出を語ってくれ、橋本さんは写真をお母さんに届けに行きます。

その今は亡き娘さんの思いっきり笑顔の写真に

「楽しみながらこういう作品を残してくれたんだなと思うと嬉しいです。
前向きな気持ちになれます」と言います。

よく過去に縛れるな、執着するなと言いますが

こういう写真をめぐるタイムトラベルの物語はいいよなあと思います。

橋本さんは言います。
「記憶っていうのは凄い世界」「よみがえったりするんでしょ。」

「記憶と言うのは生きることのいろいろな意味での力になるのではないかな。
幸せへの力になればいいな」

きっと娘さんのお母様も、震災で傷ついた人達も、こういう過去への接し方なら
浄化もされたと思います。

だって写真自体、関心のあるものに、ぐっと近寄って撮った、
子どもたちの純粋さがギュッと凝縮されているから。

過去の事を思い出して苦しみだけ増すなら、執着だから手放す。

過去の事で辛いながらも涙と共に前向きな気持ち慣れるなら、浄化ですね。

橋本さんは言います。
「うぶすなは土地の力と言う。人を育てる、物を育てる、
暮らしの場に、目に見えないけれども一つの大きな力がある」

わたし達は目に見えない大きな力に生かされ、時には傷つき、それでも
生まれる前に決めてきた、
やらねばならないことがある人は生きていくのではないかな。

そのどんな時も、全て体験だと、己の道をベストを尽くしていきたいですね。

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