17歳での誓い
上杉鷹山の17歳での誓い
今日は歴史上の人物の話を書こうと思います。
なぜならこの方の話を読むたびにわたしは泣けるからです。
素晴らしいと思うからです。
エネルギーを頂けるからです。
また今まで知らなかった、聞いたことのない言葉もゲットしましたので
書いてみます。
上杉鷹山は超有名ですね。
米沢藩9代藩主で名君と言われた方です。
なぜ名君と言われたかと言うと
17歳で家督を相続した当時の米沢藩は
莫大な借財をかかえて身動きが取れない状態でした。
その困窮した藩を立て直したからです。
その道のりは大変だったことと思います。
その為には、相当な決意のもと行ったようです。
その決意を表す誓詞を春日神社、白子神社に奉納しているそうです。
春日神社に奉納した誓詞には、
民の父母の心構えを第一とすること
学問・武術を怠らないこと
質素・倹約を忘れぬこと
賞罰は正しく行うこと
そして白子神社に奉納した誓詞には、
大倹約を行って米沢藩を復興することを誓ったそうです。
17歳での藩を背負っての誓いを奉納、凄い決意だと思います。
成せば成る
そこで生まれた言葉が有名ですね。
「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
これは知っている方、耳にした方多いことでしょう。
意味は、「行動すればできる、行動 しなければ何もできない。
人が何かを成し遂げようという 意志をもって行動すれば、何事も達成に向かうのである。
ただ待っていて、何も行動を起こさな ければ、よい結果には結びつかない。」
どんなことでも強い意志をもってやれば、必 ず成就するというのが伝わります。
やる気の大切さ、それを行動に起こす大切さを説いたこ とばですね。
アメリカの元大統領ジョン・F・ケネディが大統領就任のとき、
日本人記者から「最も尊敬する日本の政治家」はと質問されたときに、
上杉鷹山の名前をあげたそうです。
ケネディ大統領が上杉鷹山の名前を知っていたのは驚きですね。
上杉鷹山の信念みたいなものが
ケネディ大統領にも響いたのかもしれません。
働き一両、考え五両・・・
上杉鷹山の言葉の中で、
「働き一両、考え五両、知恵借り十両、コツ借り五十両、
ひらめき百両、人知り三百両、歴史に学ぶ五百両、
見切り千両、無欲万両」。
というのがあるそうです。
ただ、目の前の仕事をこなすだけなら一両の価値しかなく
自分で考えることで五両になる。
わからなければ知恵を借りコツを教えてもらって
つかんでやっと五十両です。
コツを覚えて応用出来れば百両の価値があり、
それを人に教えてあげることで三百両です。
成功者から学ぶことで五百両、
勇気を持って挑戦することで千両の価値と力がつき、
無欲は万両という大欲です。
17歳から必死に藩を建て直すため、身を粉にして
働きながらも、家臣や家臣の奥方までも動かし、
身に着けた叡智から出た言葉の数々。
凄いとしか言いようがないですね。
自分の価値を一両にするか万両にするかは自分次第です。
日本一の貧乏藩と言われた米沢藩を立て直した上杉鷹山が
編み出してきた叡智。
これ、今の時代でも十分通用しますよね。
飢饉の時に借金して民を救う
上杉鷹山の凄いところは、
荒地開発や堤防修築、農業用水を通したり、
米沢藩の特産品であった青苧を使い、
武士の婦子女に内職として機織りを習得させ藩を栄えさせた偉人。
学問は国の根元として、設立した学校には学生は有能な家臣の子弟から
20名選んで無料で入館させました。
この興譲館からは、現在に至るまで多くの偉人が輩出されています。
天明の飢餓の時の話は泣けます。
米価は1俵が平年の2倍から5倍にも跳ね上がりましたが
鷹山は新潟や酒田から米1万俵を買い上げ領民に分け与えました。
この政策で米沢藩は天明の大飢餓においても、
1人の餓死者を出さずにすみました。
でも藩財政は大きな打撃を受け、建て直すためにまた頑張ります。
鷹山自身も、一汁一菜を貫き、綿の服で過ごし、
17歳で決意したものは覚悟と共に、藩のため、民の為にひたむきに
動かれたのでしょうね。
それについてきた藩士やご家族。
こんな素晴らしい人物がいたことは米沢藩の誇りですね。