ぎっくり腰に良い、心のエクササイズ
ぎっくり腰の痛み
ぎっくり腰の痛みは経験した方でないとわからないと思いますが、相当な痛みです。
ヨーロッパでは、ぎっくり腰は「魔女の一撃」とも呼ばれているそうです。
ちなみに、ぎっくり腰という言葉はなく、「急性腰痛症」の一つに分類されます。
「ぎっくり」という言葉は、不意をつかれて驚く様を言うので、ぎっくり腰は急に起きるという意味が含まれているのだと思います。
重いものを持ち上げるとき、くしゃみをしたとき、重くなくても持ち上げる動作をしたとき、不意にぎっくり腰はやってきます。
(実は急に起きるのではないのですが、それは別の機会に書きます)
腰がこわばってしまうので、移動させることもできず、はっても進まずです。
私も昔、何度かありましたので、その痛みと体が動かない辛さはよくわかります。
ぎっくり腰はS字カーブを支える筋肉の機能が落ちた
ぎっくり腰は腰椎の最後の2つの間にある、椎間板に問題が生じたときに起こります。
腰の問題は背中の問題から来ています。
背中には背骨が通っていますが、この背骨は重力に逆らって動く人間を支えています。
生まれた時に丸まっていた背骨は、大人になるにつれ、筋肉が発達して、横から見るとS字カーブを
描いているような形になります。
本来このS字カーブを描く背骨は、強くて柔軟です。
しかしこの背骨を支えている筋肉が弱くなると、健全なS字カーブを失い、骨や椎間板などの正しい配列がなくなります。
すると、飛び出てしまった椎間板が神経にあたったりなどして、神経痛や腰痛などに発展していきます。
つまりは背骨のS字カーブを保つ筋肉が弱ったために、骨の配列などに歪みが生じ、それに伴ってあちこちに痛みが出てくるのです。
ぎっくり腰もその一つだと思います。
ぎっくり腰の気持ちは自由至上主義
心の面から考えるとどうなのでしょうか
ぎっくり腰は、自由至上主義の人に多いと言われています。
自由でいたいのです。
そこに不意に何かそれを阻害するものが表れると、ぎくっとなるのです。
もしあてはまるようなら、誰かほかの人を助けることで自由が失われるわけではないと考えましょう。
どうしてそうなるのかというと、無理しているからです。
自分はもっとやれる、もっとできると思っているからです。
でも誰にでも限界はあるのです。
実は表面上の自由でいることはできないのです。
自分の限界を認めなくてはならないです。
本当の自由とは、自分だけが自由でいることではない
もしかしたら小さい時に、こんなにできるよ~こんなに重いものだって持つことができるよ~と親や周りの人に褒められたことが心にあるのかもしれません。
その為、どんどん良い子でいなくてはならず、重いものを持たなくてはならないように、自然とそうした思考になっていったのかもしれません。
それには自分だけが努力して、自分だけが重いものをもって頑張る。
だから他の人を見たり、思いやる暇もない。
他の人の言うことに耳も貸せない。
辛くても、自分だけ自分一人で頑張っているのだから。。
これ以上、自分に誰かが関わって、大変になるのはもう無理だ。
そんなことは言えないけれど。
でも本当の自由とは、自分だけが自由でいることでは成り立ちません。
私達は一人で生きているのではないのですから。
だから、自分の限界を人に伝え、人に助けてもらう気持ちを持たなければなりません。
人に助けてもらうことで、人に借りを作ったわけではないのです。
人と助け合うことで元々、自分が成り立っていることを知るべきです。
そうであれば、自分も誰かを先に助けることができるし、自分も助けてもらえる。
わざわざ重い荷物を持たなくても良いのです。
不意に誰かに頼まれたことで、ぎくっとならなくて済むのです。
思い当たることがあれば、本当の自由とは何かを知り、お互い助け合うことを学びましょう。
次回は、ぎっくり腰に良い、体のエクササイズを書きます。
お問い合わせはこちらから