人生の踊り場も大切
人生の踊り場とは
人生の踊り場ってなんだ?
と思う事でしょう。
人生の踊り場は私が勝手に作った言葉ですが、
私は必要なものだと思っています。
『踊り場』を辞書やネットで調べると、経済活動や株式市場などが好調を続ける局面で、
上昇ペースが一時的に鈍化して停滞状態に陥ることとあります。
階段の途中にある平らで広くなっているスペースを「踊り場」と言いますが、
そこからイメージされた用語だそうです。
確かに階段は、一段一段と階段を登って上の階に行きます。
順調に登っていても、時には足を踏み外したり、疲れて立ち止まったり、滑り落ちたり等々、
折角駆け上がってきたのに、一階まで滑り落ちたら再び上がるのは大変です。
その為に階段には途中《踊り場》があります。
踊りは宇宙との調和を視覚化する
だから小休止したり、身体を整えるのにも必要なものですよね。
が、私にはもうちょっと突っ込んだ深い意味があると思うのです。
なんでそこに、踊るという言葉がきているんだろうと思いませんか?
経済活動が停滞した意味や、体を休める場所なら、停の字とか、休の字とか
それに付随した言葉がきてもいいではないでしょうか?
そういう意味あいを持った言葉をあてたほうがしっくりきますよね。
いきなりですが、神のダンス、バッハの神学文庫には
踊り、ダンスは既に古代ギリシアにおいて、
哲学と宇宙論の交錯する思索の中で捉えられていたと書かれています。
その意味で踊り、ダンスは宇宙の調和を人の身体によって視覚化するものであったそうです。
視覚化されたものの中に、視覚化されるべきものを強く響かせたのがバッハの組曲なんだそうです。
日本でも神話の中で、岩戸に隠れたアマテラスを救出する際に、
天宇受売命(アメノウズメ)という神が、上半身を裸で踊り、
八百万の神々を沸かせたと言うのは有名です。
このとき踊った踊りが岩見神楽のルーツとされているそうです。
踊りは神とつながる
ですので私は、踊りは神と繋がる大切なものだと信じています。
儀式だと思っています。
人間は物事が順調でも、必ずと言って良いほど、ガクッと止まったり、下がりそうになることがあります。
その時は、小休止し、自分を見直し、エネルギーを蓄えるために、
神との繋がりを頂く場が踊り場ではないかと思えるのです。
今日、欧米やアジアの多くの教会では礼拝でダンスをしません。
ですがアフリカやラテンアメリカ系の教会でダンスはあたりまえです。
エチオピアでは自由奔放に表現力たっぷりに礼拝し、1時間もダンスし続けます。
ですがキリスト教の信者の中には、聖書を深く読み解くと、
ダンスは身体的、霊的でまた神聖であると示されているといいます。
聖書ではダンスが当たり前のように記されているのに、
欧米ではダンスはしないと思い込んでしまったのかもしれませんと、信者はいいます。
私たちは神の前に全身全霊、生けるささげものとして霊的な礼拝を行います。
礼拝とは、私たちの声と身体で神を賛美することです。
神への賛美は踊りだったのではないかと言われています。
踊り、ダンスは重要なものなんだと思います。
心と体を開放する踊り
先日も書きましたが、私は20年以上も前に
夫の転勤先の福島県郡山市で
ヒーリングダンスと言うものを開催していました。
私は郡山ではアメリカから健康講師をお呼びして
心、体、魂を整える自然療法の健康講演会を
2年半の間に10回以上開催していました。
健康講演会は、50人くらい参加してくれる時もありましたが
5名くらいの時もあり、
1人で一生懸命に集客から会場からやっていて大変でした。
その一環で、ヒーリングダンスの会も開催していたのです。
こちらは集客要らずで、ちょっと話しただけでわんさか集まってきました。
40代~60代くらいの女性たちばかりだったなあ。
でも頼んでもいないのに、片付けから先生のお泊まり場所まで、
参加者が自らみんなやってくれるので、
小さい子供のいる私は日程を決めて会場をとり、先生を駅までお迎えに行くだけで楽でした。
そのくらい人気でそのくらい楽しく、
4時間踊り続ける事で、心と体を開放し、神と繋がることを、みんな、知ってか知らずか、
望んでいたのだと思います。
踊りの力は凄いです!
人生の踊り場は
○一度呼吸を整える場
○休憩する場
⚪︎自分を見直す場
○次の階に上がる為の準備
そして神と繋がらせて頂く場
だと思うのです。
人生の踊り場は大切です。
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