人生の主人公になる方法──常識に縛られない生き方と、ワクワクを選ぶ勇気

わたし渡邉登代美は25年前に4度の手術後、半分寝たきりになった時に栄養不足と毒の溜まりすぎが病気の原因だったことを知りました。
その後元気になり、健康アドバイザーとして24年、たくさんの人に関わっていく中で、健康に良いツールのサプリメント、抜けない水素水、波動療法、
運動療法、心理学療法、ヒーリングに出会いながら、時にはアメリカまで行って勉強しました。
そして健康は一つの角度からだけでなく、様々な角度からのアプローチが必要と気づきました。
真の健康は心の健康、体の健康、魂の健康が揃ってこそだと思い、その大切さ、そのことを伝えるべくブログを書いています。
ですのでわたしのブログは心の健康、体の健康、魂の健康をテーマに書いています。
常識とは、ありふれた意見である
「その“当たり前”に、あなたの本音は入ってますか?」
「常識に縛られたままでは、自分らしい人生は決して歩めません。」
—
「常識」って、なんだと思いますか?
ある日のこと、「天国をつくる男」として知られる、
てんつくマンの講演会に足を運んだときのことです。
開口一番、彼は私たちに問いかけました。
「常識って、辞書でなんて書いてあるか知ってますか?」
会場がざわつきました。「当たり前のこと?」「社会のルール?」「良識…?」
誰もが心の中で答えを探しながら、でも確信が持てずに目を泳がせていました。
そして、てんつくマンがさらりと放った一言に、私は文字通り、
目からウロコが落ちる思いがしたのです。
「常識とは、ありふれた意見、だそうです。」
──ありふれた意見。
その場にいた誰もが一瞬沈黙し、そして「えっ、それだけ?」
というような顔をしたのが印象的でした。
私たちが「普通こうするよね」と信じて疑わなかったこと、それらは実は“ありふれた
誰かの意見”であって、科学的な根拠があるわけでも、論理的に検証されたわけでもないのです。
ただ「多数派がそう思っている」という、それだけ。
では、その多数派って、誰でしょう?
親でしょうか、先生でしょうか、テレビのコメンテーターでしょうか。
──でもそれって、本当に「自分自身の声」だったでしょうか?
私もまた、気づけばそんな「常識」にどっぷりと浸かっていた一人でした。
「もう年だから」「普通はこうするべき」「人に迷惑かけないように」──
それらの“ありふれた意見”を、まるで聖書のように信じて、従って生きてきた気がします。
でも、それって息苦しくありませんでしたか?
本当は違和感を感じていたこと、ありませんか?
常識というのは、無意識のうちに私たちの行動を制限する“見えない柵”のようなものです。
それに囲まれていれば安全ではあるかもしれませんが、自由も、自分らしさも失っていきます。
私たち50代の女性は、これまで本当によく頑張ってきました。
家庭のため、仕事のため、誰かの期待に応えるために、時には自分の本音を殺して生きてきたのです。
でも、これからの人生はどうでしょう?
この先も、“ありふれた意見”に縛られながら、
他人の正解をなぞって生きていくのでしょうか?
私は、そうじゃない生き方を選びたい。
常識を手放すことは、怖いことかもしれません。
でも、「私はどうしたい?」と自分に問い直すことは、
人生の舵を自分の手に取り戻す行為でもあります。
ありふれた意見ではなく、あなた自身の本音に従う。
それが「自分らしい人生」の第一歩なのだと、私はこの日、
ようやく気づかされたのです。

自分の人生を演出する
「カメラは回っている。あなたは、どんな主人公ですか?」
「自分の人生の主人公になるには、“自分を演出する視点”が必要です。」
「自分の人生の主人公になろう」──
よく耳にするフレーズですが、実際にそう振る舞えている人は、どれだけいるでしょうか。
今、ふと振り返って思うのです。
私はずっと誰かの脇役を演じていたのではないかと。
母親として、娘として、職場の歯車として。
自分のセリフはどこかに置き忘れて、
誰かが書いた台本を読んでいるような日々でした。
でも、てんつくマンの講演会での話が、そんな私の心を軽やかに揺さぶりました。
彼はこう言いました。
「人生は映画や。あんたが主人公や。しかもカメラはずっと回ってんねん。」
その瞬間、ふっと想像してみたのです。
朝、目を覚ました瞬間から「カメラはどこだ?」と意識して過ごす1日を。
不思議なことに、その意識だけで、ほんの少し背筋が伸びました。
「あの人にどう見られてるか」ではなく、「私は今、どんなシーンを撮っているのか?」
という視点に立つだけで、自分の行動に誇りと責任が生まれるような気がしたのです。
最近では、仮想現実=VRの技術が日々進化していますよね。
ゴーグルをかければ、自分がまるで異世界の中にいるかのように感じられる。
──それならば、自分の人生だって、理想の世界を“演出”していいじゃないかと思うのです。
これまで私たちは、「こうしなきゃ」「こうあるべき」に従って、妥協という物差しで人生
を測ってきました。
でも、今からは、もう一つの物差しを取り出してもいいのではないでしょうか?
それは、あなたの胸の奥にずっとしまってあった、「理想」という名の物差しです。
誰にも見せたことがないような夢や憧れ。
「もう若くないし」とあきらめかけていた願いごと。
それらを、もう一度テーブルに出して、今から人生をプロデュースしてみる。
そんなことを考えながら、私は朝起きるたびに、心の中で問いかけるようになりました。
「さあ、今日のカメラはどこにある?」と。
たとえそれが、自分一人しか見ていない映像だとしても。
たとえ誰も拍手してくれない舞台だったとしても。
自分自身が観客であり、監督であり、主演である。
そんなふうに考えたとき、人生にほんの少しの誇りと彩りが生まれました。
主人公とは、完璧な人のことではありません。
迷いながらも、自分の人生を自分で選んで歩く人のこと。
そう信じられるようになってから、私はようやく、“私の映画”の撮影を始めた気がしています。

映画のように生きるということ
「あなたの物語に、感動のラストシーンはありますか?」
「自分らしい生き方は、いつだって“人生の再スタート”から始まります。」自分で映画の主人公を演じる。
もし自分の人生が1本の映画だとしたら、そのタイトルはなんだろう?
そんなふうに考えてみたこと、ありますか?
登場人物は誰で、舞台はどこで、どんな物語が展開するのか──。
そう想像するだけで、心のどこかがふわっと軽くなって、
人生がちょっぴり楽しく感じられるから不思議です。
50代にもなれば、人生のシナリオはもう出来上がっている…と、
どこかで思い込んでいませんか?
でも、それは大きな誤解です。
むしろ今こそが、物語をガラリと変える“どんでん返し”のチャンス。
そして、そこから始まる新しい物語に、
きっと拍手喝采のエンディングが待っているのです。
私がそのヒントをもらったのは、映画『トゥルーマン・ショー』でした。
ジム・キャリー演じる主人公・トゥルーマンは、ごく普通の生活を送る男性。
けれど実は、彼の人生そのものが、テレビ番組のセットであり、
周囲の人たちさえも“演出された存在”だったという衝撃のストーリーです。
彼は次第にその“偽りの世界”に違和感を持ち、自分の人生が他人に操作されて
いることに気づきます。
そしてついには、恐怖心を乗り越え、自らの意思でその世界を出て行く決断をするのです。
この映画を観て、私はこう思いました。
「もしかして、私たちも誰かがつくった台本の中で生きてるのかもしれない」と。
親が望む娘として、社会が期待する女性像として。
そうやって“完璧なセット”の中で、違和感を覚えながらも過ごしてきた年月があった
ように思います。
でも、トゥルーマンがそうしたように、自分で一歩を踏み出せば、
私たちも“本当の人生”へと抜け出せるのではないでしょうか。
何もすべてを壊さなくてもいいのです。
ただ、「この映画の脚本、書き直してみようかな?」と心の中でつぶやくだけで、
変化は始まります。
登場人物を変えてもいい。
舞台を変えてもいい。
もちろん、エンディングも書き直していいんです。
「私の映画、ハッピーエンドにしたいな」
そう思えたとき、あなたはすでに脚本家であり、演出家であり、主演女優です。
50代だからこそ描ける深みと、豊かさと、ユーモアがあります。
酸いも甘いも経験してきた私たちだからこそ、リアリティあるセリフが書けるのです。
もう「過去のあやまち」も、「取り戻せない時間」も、悔やむ必要はありません。
それらすべてが伏線だったと気づいたとき、人生の物語に深い味わいが生まれるのです。
さあ、次のシーンはどうしましょう?
どんなテーマソングを流して、どんな衣装で、誰と歩きますか?
自分で選べると思っただけで、人生がぐんと輝き出す。
それが「映画のように生きる」ということなのです。

ワクワクで選ぶ勇気をもとう
「ワクワクは、あなたの心がくれた人生のナビです」
「ワクワクを選ぶ生き方こそが、“常識を手放して自由に生きる”第一歩です。」
「ワクワクするほうを選べ」──
そんなふうに言われても、これまではなかなか実践できなかったのが本音です。
私たちは、“ちゃんとした大人”として生きるように教えられてきました。
「世間体」「常識」「安定」──そうしたものを軸に、選択を重ねてきた日々。
ときにワクワクよりも「損得」や「正解」に重きを置いてしまうのは、決して悪いことで
はありません。
でも、その積み重ねが“心のときめき”を置き去りにしてしまうなら、やっぱりどこかで
立ち止まりたくなるのです。
てんつくマンが講演でこう言いました。
「非常識になるんや!」
その言葉を聞いたとき、最初はちょっと身構えました。
でも、彼の話を聞いていくうちに、その“非常識”には、心の底から納得させられたのです。
かつて彼は、環境保護活動に熱心で、ゴルフをする人を「くずや!」とまで言い切っていたそうです。
ところが、ある日ふとしたきっかけでゴルフの楽しさに目覚め、
今ではプロゴルファーを目指すほど夢中になっているのだとか。(当時)
「そんなの矛盾してる!」と、批判する人もいたかもしれません。
けれど、彼は自分に正直であろうとしたのです。
過去の自分の言葉より、今この瞬間にワクワクしている感覚を信じた。
それって、とても勇気のいることです。
なぜなら、「自分の過去」に縛られないというのは、実は“常識”を手放す行為だからです。
でも、自分の本音を大事にして生きる姿勢は、周りの人の希望や光になっていく。
私は、そう確信しています。
50代は、いろんなものを背負ってきた世代です。
でもその分、“自分に正直に生きる難しさ”も、“ワクワクを抑えてきた切なさ”も、
誰よりも知っているはずです。
だからこそ、これからはもう、自分の気持ちを一番に扱っていい。
他人の評価ではなく、心の震えに従って選んでいいのです。
ワクワクを選ぶ人生は、時に“非常識”に見えるかもしれません。
でもその選択の先には、きっとあなた自身が主役の素晴らしい映画が待っています。
たとえ世間の評価がゼロでも、あなたの心が100点なら、それで十分。
私も今、心からそう思えるようになりました。
過去の正解を繰り返すより、今のときめきを信じて生きていきたい。
それが、私の映画に光を差すエンディングだと、胸を張って言えるからです。
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