卵巣腫瘍の術後に元気をくれた娘──家族の愛とサプリメントが導いた回復の力

卵巣腫瘍,卵巣嚢腫,子供,人の役に立つ
心と身体のケア
「真の健康は、心、体、魂の健康が揃ってこそ!」の思いで発信しているブログにようこそ!
わたし渡邉登代美は25年前に4度の手術後、半分寝たきりになった時に栄養不足と毒の溜まりすぎが病気の原因だったことを知りました。

その後元気になり、健康アドバイザーとして24年、たくさんの人に関わっていく中で、健康に良いツールのサプリメント、抜けない水素水、波動療法、
運動療法、心理学療法、ヒーリングに出会いながら、時にはアメリカまで行って勉強しました。

そして健康は一つの角度からだけでなく、様々な角度からのアプローチが必要と気づきました。
真の健康は心の健康、体の健康、魂の健康が揃ってこそだと思い、その大切さ、そのことを伝えるべくブログを書いています。
ですのでわたしのブログは心の健康、体の健康、魂の健康をテーマに書いています。

再発の恐怖と向き合う──母として、再びベッドの上へ

「“また、あの手術台に上がるの?”──恐れと向き合う時、初めて自分の中の“強さ”が目を覚ます。」

卵巣腫瘍の術後に再び卵巣嚢腫が見つかったとき、
私は心のどこかで「もう大丈夫」と思い込んでいた自分を責めました。

同じ手術を二度も経験することへの恐れ、子どもを残して入院する罪悪感──

それでも母として、生きる力を手放すわけにはいきませんでした。

あの日、医師の口から「再発ですね」と聞いた瞬間、心の奥がストンと冷たくなりました。

卵巣嚢腫という言葉を二度聞くとは思ってもみなかったし、
「前回の手術で終わり」と信じていた自分がいました。

37歳。まだ子どもは3歳と5歳。

朝の保育園の送り迎えも、夜中の咳にも駆けつけたい年頃です。

けれども現実は、病室の天井を見上げる毎日。

母親としての無力さと、家族への申し訳なさで胸がいっぱいでした。

手術の日が近づくにつれ、恐れよりも「置いていく不安」が大きくなりました。

病気より怖かったのは、子どもたちの寂しそうな顔です。

「ママ、いつ帰ってくるの?」と聞かれるたび、笑顔で答えながら、心の中では泣いていました。

病気と子育ての両立なんて、そんな簡単な言葉では片づけられないほど現実は厳しかったのです。

それでも、夫は毎日のようにお見舞いに来てくれました。

義父母も実母も、「気にせずゆっくり休みなさい」と言ってくれました。

私は、自分がどれだけ多くの愛に支えられているかを、病気によって初めて思い知りました。

感謝という言葉の意味を、心の底から実感したのはこの時だったと思います。

そして、ふと気づいたのです。

「恐れ」とは、誰にも頼らず完璧であろうとする自分が作り出した幻だったのだと。

私は“強くなりたい”とずっと思っていました。

けれど、本当の強さとは、人を頼り、愛を受け取ることなのかもしれません。

この手術は、私にとって“再発”ではなく、“再出発”だったのです。

ベッドの上で静かに目を閉じながら、
「もう恐れない。家族と一緒に生きていく力を取り戻そう」と、心の中でそっと誓いました。

卵巣腫瘍、卵巣嚢腫、そら豆

術後の不調と不安──動かない体と、見えない原因

「体が動かない。熱が下がらない。誰も分かってくれない──
それでも、希望は見えないところで静かに芽吹いていた。」

卵巣腫瘍の手術を終えたあと、術後の回復が思うように進まず、
体調不良と高熱が続きました。

“もう治ったはずなのに、なぜ?”という不安が募る中で、
私は自分の体が発していた小さなSOSを見逃していたのです。

退院して数日経っても、体は辛いままでした。

一日中体が重く、まるで何かに押しつぶされるような倦怠感に襲われました。

ベッドから起き上がることすら苦しくて、洗面所まで行くのにも時間がかかるほど。

「また何か悪いことが起きたのでは」と、恐れと不安が頭を支配していきました。

担当の女医は、当時テレビに出るほどの有名な先生でした。

だからこそ、「この人に任せておけば大丈夫」という安心感がありました。

けれども、その先生に体調のことを相談しても、「院内感染かもしれませんね」と
そっけなく言われただけ。

その一言に、心が凍りました。

“検査もしていないのに、そんな簡単に決めつけるの?”──
そう思いましたが、声に出せませんでした。

患者である自分が、何も言えなくなるあの空気。

不安のままベッドに横たわり、天井の白さをただ見つめるしかなかったのです。

結局、検査をしても院内感染ではないという結果。

けれども熱や、激しい眩暈、倦怠感、両手が上がらない、両手が開かないなど
原因は分からないまま、熱が下がった時に退院を迫られました。

病院のベッド数の都合、と説明されましたが、心は置き去りのままでした。

退院してからも、体は思うように動きません。

微熱、だるさ、そして心の中には「どうして?」という答えのない問いだけが残りました。

今思えば、あれは体だけでなく、心が疲れ切っていたサインだったのです。

手術そのものの痛みよりも、孤独や不安の方がずっと深く、私を弱らせていた。

“頑張らなきゃ”と気力だけで動こうとするほど、体はそれに反抗するように沈黙しました。

「もう少し、自分を労わって」と、体が教えてくれていたのかもしれません。

病気をきっかけに、私は初めて「自分を大切にする」ということを学びました。

それは、

家族のためでもなく、医師のためでもなく、自分自身を守るための“回復の第一歩”だったのです。

届いたサプリメント──“思いやり”がもたらした小さな奇跡

「親友の優しさが、瓶に詰まって届いた。栄養よりも先に、心が回復しはじめた瞬間。」

術後の体力が戻らず、寝てばかりいた私のもとに、アメリカの友人からサプリメントが届きました。
その栄養補強食品は、単なる健康のためのものではなく、“思いやり”という名の薬だったのです。

退院して家に戻っても、私はほとんどベッドから起き上がれませんでした。

体を起こすと、世界がぐるぐる回るようなめまいに襲われ、両手を上げることもできない。

グーに握ったままの手が開かなくなり、ペンを持つのにも一苦労。

日常の何気ない動作が、まるで重りを背負ったように感じられました。

そんな私の姿を見て、夫は黙って服を着替えさせてくれました。

家事も育児もままならず、ただ寝ることしかできない自分に、情けなさと無力感が押し寄せました。

そんなある日、アメリカの親友から小包が届きました。

開けてみると、中には見慣れないボトルがいくつか入っていました。

メッセージカードには、こう書かれていました。

「いつ電話しても寝ているから、心配で送ったの。
いい栄養補強食品だから、少しずつ飲んでみてね。支払いは後でいいから。」

その言葉に、胸が熱くなりました。

当時はサプリメントの知識などほとんどありませんでした。

“本当に効くのだろうか”という半信半疑の気持ちもありました。

けれども、彼女が海の向こうから私を気づかってくれたこと。

その想いが何よりも嬉しかったです。

サプリメントそのものよりも、そこに詰まっていた“愛情”が、私の心をゆっくりと温めてくれたのです。

最初の一粒を飲んだ時、不思議と少しだけ心が軽くなりました。

もちろん、すぐに体が元気になったわけではありません。

けれども、「大丈夫。少しずつでいい」と誰かに背中を押されたような気がしました。

その日から、私はベッドの上でもできる限り、深呼吸をして体の声に耳を傾けるようにしました。

今思えば、あのサプリメントは単なる栄養補強食品ではなく、
“生きる力”を思い出させてくれるきっかけだったのです。

人の思いやりは、薬よりも深く、静かに、私の中の生命力を呼び覚ましてくれました。

5歳の娘が炊いたご飯──母を目覚めさせた愛の声

「“ママ、ご飯が炊けたよ”──ガチガチのお米の匂いに、涙が溢れた。愛は、どんな薬よりも強い。」

卵巣腫瘍の術後で寝込む日々、5歳の娘が「ママ、ご飯が炊けたよ」と声をかけてくれました。
病気を乗り越える力は、薬でもなく、家族の絆や娘の優しさという“愛のエネルギー”から生まれるのだと、
その瞬間、深く感じました。

ある朝、いつものようにベッドの中でうとうとしていると、小さな声が聞こえました。
「ママー、ご飯が炊けたよ〜!」

最初は夢の中の声かと思いました。

けれども、何度も呼ぶその声にハッと目が覚め、慌ててリビングへ向かいました。

そこには、椅子を踏み台にして炊飯ジャーの前に立つ、5歳の長女の姿がありました。

彼女は嬉しそうに笑いながら、炊飯器のフタを開けて言いました。

「見て、ちゃんと炊けたよ!」

鍋の中には、見たことのないほど固い“お米”がありました。

お米は水で洗ったそうです。

でも最後に水を入れずに炊いたらしく、ガチガチのご飯になっていたのです。

それでも、その光景を見た瞬間、胸の奥が熱くなりました。

お米の炊き方なんて、一度も教えたことがなかったのに。

わたしの姿を思い出しながら、見よう見まねで炊いたのだと思います。

まだ5歳の小さな手で、私を元気づけようとしてくれたのです。

「ママが早く元気になりますように」──そんな想いが、お釜いっぱいに詰まっているようでした。

その瞬間、涙が止まりませんでした。

病気をして以来、どんな薬を飲んでも体が思うように回復しなかったのに、
娘の一言が、私の心を一瞬で立ち上がらせたのです。

私は娘を抱きしめながら、「ママ、もう大丈夫だよ」と自分に言い聞かせました。

あの日の娘の声、ガチガチのお米の香り、娘の笑顔──
そのすべてが、私に生きる力を取り戻させてくれました。

人は、誰かに必要とされることで強くなれるのだと、あの小さな背中が教えてくれたのです。

あの朝から、私は少しずつサプリメントを飲みはじめました。

友人の思いやりで届いた栄養と、娘の優しさで満たされた“心の栄養”。

二つの愛が重なった瞬間、ようやく私は「回復」という道を歩き出せたのです。

愛が回復のエネルギーになる──心と体を癒やす力

「薬では癒せない痛みを、愛と感謝がやさしく包む。
回復とは、“愛を思い出すこと”なのかもしれません。」

卵巣腫瘍の回復には、サプリメントなどの栄養補強も大切ですが、
家族の支えや感謝の力こそが本当の癒しを生み出すエネルギーだと、私は身をもって感じました。

愛は目に見えませんが、確かに“回復の光”として私の心と体を照らしてくれたのです。

療養期間を経て、ようやく少しずつ体が軽くなりはじめた頃、私はふと気づきました。

本当に私を支えてくれたのは、薬でも医療技術でもなく、“人の想い”だったのだと。

夫の無言の励まし、義父母や母の献身的な支え、そして娘の優しい声。

その一つひとつが、まるで細い糸を紡ぐように、私の生命力をつなぎとめてくれていました。

そしてもう一つ、忘れてはいけない存在がありました。

それは、海の向こうから届いたサプリメント。

20代の頃、新聞奨学生のストレス、冷え、不規則な生活があって体が弱っていた上に

現代はいくらきちんと摂っても、野菜の力が祖母の時代に比べて10分の1に落ちています。

添加物いっぱいの食べ物が溢れていますし、体は電磁波、紫外線等
毒素の攻撃もたくさん受けています。

そこを補う栄養補強食品としてのサプリメント、解毒のサプリメントの力には
目を見張るものがありました。

友人が送ってくれたサプリメントは、クエスト・フォー・ライフのもので、
天然100%であり、純粋度が高く、栄養の効きを高める組み合わせが最高のものでした!

お陰で体はみるみる回復したのです。

そして何より「あなたが大切だよ」という親友のメッセージが、
私の細胞の奥まで沁み渡った気がしました。

心と体は繋がっていて、どちらも大事ですし、更には両方がパワーアップすると
最強の力を発揮してくれます。

まさにその両方の力を感じました。

病気というのは、決して“終わり”ではありません。

それは、自分を見つめ直し、心と体のバランスを取り戻す“再生のチャンス”です。

卵巣腫瘍の術後という大きな試練を通して、私はようやく
「自分を大切にすることが、家族を大切にすることなのだ」と理解しました。

そして健康が何よりも大事だと言うこともわかりました。

今では、栄養バランスを考えた食事、本物で最高のサプリメントでの補強、解毒、
体の6割以上を占める水を最高のものに変えること、体を適度に動かす運動の大切さ、
そして心を整えることの大切さ、そのどれもがとても大事だと日々、体を整えることを優先しています。

その中でも、愛や思いやり、支え合いこそが最高の自然療法かもしれませんね。

その力が、人間の本来持つ“自己治癒力”を静かに呼び覚ますのです。

私たちの体は、愛と感謝に反応する精密な器です。

心が穏やかであれば、免疫も整い、エネルギーが流れ出します。

病気が癒えるということは、単に症状が消えることではなく、
“愛の循環”の中に身を委ねることなのかもしれません。

これから先もどんな試練が待ち受けているのかわかりません。

ですが、私には、
心、体、魂を整える最強のツールがたくさんありますので乗り越えていけるはず!

心、体、魂を整える最強のツールとは

食事を大切にすること。
サプリメントなどの栄養補強食品で現代の栄養不足を補うこと。
サプリメントで解毒をすること。
毎日飲む水を免疫力のあがるキレイな水に変えること。
体を満遍なく適度に動かすためのメソッドです。

更には人の愛が大事です。

愛は、回復のエネルギー。

それは、誰の中にも最初から備わっている“生きる力”です。

だからこそ、助けられたわたしだからこそ、

わたしも誰かの力になれるように生きていきたいと思います。

私がお伝えする、ヒーリングや健康情報を詳しくお知りになりたい方はこちらまでお問合せお願いします。

関連記事一覧