「自分を許すことができないあなたへ──人を許す心と“許されて生きる”意味を知る」

わたし渡邉登代美は25年前に4度の手術後、半分寝たきりになった時に栄養不足と毒の溜まりすぎが病気の原因だったことを知りました。その後元気になり、健康アドバイザーとして24年、たくさんの人に関わっていく中で、健康に良いツールのサプリメント、抜けない水素水、波動療法、
運動療法、心理学療法、ヒーリングに出会いながら、時にはアメリカまで行って勉強しました。そして健康は一つの角度からだけでなく、様々な角度からのアプローチが必要と気づきました。
真の健康は心の健康、体の健康、魂の健康が揃ってこそだと思い、その大切さ、そのことを伝えるべくブログを書いています。
ですのでわたしのブログは心の健康、体の健康、魂の健康をテーマに書いています。
人を許せない気持ちと「自分を許せない心」の関係
許せないあの人への怒り──実は一番傷ついているのは「自分」だったのです。
人を許せないと感じるとき、心は怒りや悲しみにとらわれ、抜け出せない苦しみを生みます。
けれど、その根底には「自分を許すことができていない心」が潜んでいるのです。
自分を許すことができれば、自然と人を許す力が湧き、自己受容が深まっていきます。
「どうしてもあの人を許せない」「あんなことをされたのに水に流すなんて無理」
──そんな気持ちを抱いたことは、誰にでもあるでしょう。
裏切りや理不尽な出来事に遭遇すると、怒りや悲しみが心に渦巻きます。
そしてその感情にとらわれ続けると、まるで心が鎖で縛られたように重たく、
息苦しくなってしまうのです。
しかし冷静に振り返ってみると、許せない気持ちを握りしめているとき、
一番傷ついているのは相手ではなく「自分自身」です。
怒りの火は、実は自分の心を燃やし尽くしてしまいます。
相手を裁き続けるほど、自分の心が疲れ、心身のバランスを崩すことさえあるのです。
では、なぜ人を許すことがこんなにも難しいのでしょうか?
答えのひとつは「自分を許していないから」です。
自分の過去の失敗や弱さを受け入れられない人ほど、他人の欠点や過ちに対しても厳しくなりがちです。
つまり「人を許せない心」とは、「自分を許せない心」が投影された姿にほかなりません。
だからこそ、まずは「自分を許す」ことが必要なのです。
自分に厳しく、完璧であろうとし続けてきた人ほど、自分を責める習慣に慣れすぎています。
その習慣を手放し、「私は許されて生きている」「私は愛されている存在だ」
と思い出すことが、自己受容への第一歩になります。
自分を許すと、心に少しずつ余裕が生まれます。
その余裕がやがて、人を許すことにつながっていくのです。
人を許すことは、相手のためではなく、何よりも自分自身を自由にするための選択なのです。
生まれる前から「存在が許されている」私たち
あなたが生まれた瞬間から、すでに「許され、受け入れられていた」という奇跡を知っていますか?
私たちは生まれる前から「存在が許されて生きている」存在です。
母のつわりや出産の苦しみは、命を受け入れ、許す行為の象徴です。
自分は最初から許されている──そう気づいたとき、心は解放され、自己受容が深まっていきます。
人は誰しも、最初から「迷惑をかけない存在」として生まれてきたわけではありません。
母の胎内に宿った瞬間から、すでにお母さんの体に変化をもたらし、
つわりや体調不良という形で大きな負担をかけています。
けれど母はその苦しみに耐え、命を受け容れることを選びます。
これはまさに「存在を許す」という愛の行為なのです。
出産の場面を思い浮かべてみてください。
陣痛の痛みは言葉にできないほど強烈であり、ときには命の危険すら伴います。
それでも母は全身全霊で命を迎え入れようとします。
その瞬間、私たちは「生まれる前から既に許されていた」という事実を背負って、
この世に送り出されているのです。
私たちは「何かができるから」「努力したから」許されるのではありません。
存在そのものに価値があり、生きているだけで許され、受け入れられているのです。
ところが、多くの人は成長の過程で「迷惑をかけてはいけない」
「人に頼ってはいけない」と思い込み、本来の「許されている自分」を見失ってしまいます。
でも、原点に立ち返れば答えはシンプルです。
「私は母の愛と犠牲のうえで、存在を許されて生まれてきた」
この事実に気づくだけで、自分に対して向けていた厳しい目が少しずつ和らぎます。
存在が許されていると感じられたとき、自己受容の芽が芽吹き、心は軽やかになっていくのです。
私たちは生まれる前からずっと「許されて生きる」存在でした。
そのことを思い出すことが、自分を許し、人を許す心を育てる土台になるのです。

迷惑をかけても「愛されている実感」を持てる理由
泣きじゃくる赤ちゃんのように──迷惑をかけても、愛はあなたを包み込んでいるのです。
赤ちゃんは泣き続けて迷惑をかけても、家族に守られ、愛されて育ちます。
それは「許されて生きる」ことの象徴であり、
私たちが本来持っている「愛されている実感」を思い出させてくれます。
迷惑をかけても愛される経験こそ、人を許す心を育てるのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、自分ひとりでは何もできません。
お腹がすけば泣き、眠れなければ泣き、おむつが濡れても泣きます。
昼も夜も関係なく泣き続ける赤ちゃんに、
母や家族は寝不足になり、ときに心身ともに疲れ果てることもあります。
けれど多くの場合、「迷惑をかけている」とは感じず、むしろ愛情を注ぎ、必死に守ろうとします。
この姿は、私たちがどれほど「許されて生きている」存在かを教えてくれます。
赤ちゃんは迷惑をかけながらも、無条件に受け入れられ、愛されているのです。
その経験の積み重ねが「私は存在していていい」「私は愛されている」という基盤を育てます。
大人になってからも、私たちは誰かに迷惑をかけながら生きています。
仕事で助けてもらったり、体調を崩して看病してもらったり、
日常の中で数え切れないほど人の手を借りています。
それでも多くの場合、周りは「仕方ないな」「大丈夫だよ」と言い、私たちを受け入れてくれます。
そこには確かに「愛に守られている自分」が存在しているのです。
ここで大切なのは、「迷惑をかけてはいけない」という思い込みを少し手放すことです。
人に迷惑をかけるのは生きている証であり、人とつながるきっかけでもあります。
そして、迷惑をかけながらも愛されてきた事実を思い出すことで、
「愛されている実感」が心に蘇り、他人をも許せる気持ちが生まれてきます。
つまり「迷惑をかけても愛される」という体験そのものが、
許しと愛の循環を教えてくれているのです。
私たちは孤立した存在ではなく、互いに許し合い、愛し合いながら生きているのです。

自己受容こそ人を許す力になる
まずは「自分を許す」ことから。
自己受容が、他人をも優しく受け入れる扉を開きます。
人を許せないとき、それは「自分を許していない心」の表れです。
自分を許すこと、すなわち自己受容を深めることで、人を裁く気持ちは自然に和らぎます。
すでに「許されて生きる」存在であることに気づけば、心は大きく解放され、
人を許す力へと変わっていくのです。
「どうしても人を許せない」という気持ちにとらわれているとき、
私たちは無意識のうちに「自分自身を責めている」ことが多いものです。
過去の失敗や弱さを許せず、心の奥で「こんな自分ではダメだ」と思ってしまう。
それがそのまま他人に向けられ、相手を裁く心につながっていきます。
けれど、よく考えてみれば、私たちはすでに数え切れないほど「許されて生きて」きました。
失敗しても助けてもらい、迷惑をかけても受け入れられ、愛されながら今日まで来たのです。
その事実を思い出すだけで、心の重荷が少しずつ軽くなるはずです。
自己受容とは、「自分を許すこと」に他なりません。
完璧でない自分、不器用な自分、弱さを持った自分を丸ごと受け入れることです。
それができると、他人の不完全さにも自然と優しくなれます。
自分に寛容になるほど、人にも寛容になれるのです。
そして、自分を許すことで、人を許す心が育ちます。
人を許すことは決して「相手のため」だけではなく、何より「自分を自由にすること」なのです。
怒りや裁きの心から解放され、愛されている実感に包まれたとき、
あなたの中に「愛と許しの循環」が生まれます。
つまり、自己受容こそが人を許す力の源泉です。
「私はすでに許されて生きてきた」「私は愛されてきた」
──この事実を心に深く刻むとき、あなたは他人をも許し、愛をもって生きることができるのです。
私がお伝えする、ヒーリングや健康情報を詳しくお知りになりたい方はこちらまでお問合せお願いします。