苦しいのは本音で生きていないから
苦しい修行は無駄だったとわかり
うずまき塾の市川ゆうじさんに教えてもらいましたが、
小林正観さんが見つけた「お釈迦様百科」では、お釈迦様は菩提樹の下で悟りを開くまで6年間
大変な修行をしています。
修行は自分や動物の糞を食べたり、お墓で骨を並べて寝たり、ありとあらゆる苦しみというものに
挑みます。
そのうえ結核も患っていたと言われていますから相当辛かったことと思います。
なぜ、お釈迦様はそのような修行をしたかと言いますと、最高の苦しみをして、
それを超えられたなら、心の静寂が訪れると信じていたからですね。
でも6年間やってみて、どんなにきついことをしても、心の安らぎは得られず、修行は無駄だったと
6年後、山を下ります。
そして菩提樹の木の下で1週間瞑想をして気づきを得て悟られたのです。
自分が苦を起こしていたことに気づく
何を悟ったかというと、以前も書きましたが、「縁起」
物事はすべて依存して絡み合って生まれてきますね。
自分以外の因果関係、人や物や神や仏、自分以外の全てのものが組み立てられています。
それゆえに自分が思い通りにしようとするとそこに苦が生まれてくる。
だから自分は何も思わない、何も意図しなければ、周りが縁を作り、それが起きてくる。
それこそが自分の思い通りというか、望む形になることだというのです。
自分が苦を起こしているので、自分の思いを捨てると苦から解放されます。
でもゴールは決めておくといいそうです。
あとは今目の前にあることを一生懸命にやりながら、周りが起こしてくれる
縁起の波に乗るということでしょうか。。。
本音さえも間違える
私も随分、縁起とはトンチンカンな生き方をしてきました。
素直なほうではありますが、いざとなると怖かったりして
逃げてきました。
それによってまた苦しみを産んできました。
本音で生きるとは、自分の持つ本当の音を知ることですね。
それをみんな滅茶苦茶、わからなくなっているのが現代です。
だから自分の本音さえも間違えます。
子供を考えてみるとわかりますが、子供が望むのは
自分を甘やかす、いい加減なお父さんとお母さんではありません。
自分に本気で接してくれるお父さんとお母さんです。
それが生きるための子供の本音ですが、表面的には甘えが出て、怒りが出て
お父さんお母さんはオロオロしたり、怒ったりしてしまいます。
でも子供が本気でほしいのは、自分にどれだけ真剣に接してくれるか
本気のお父さんとお母さんなのです。
本当の本音で生きる
お釈迦様も心の平安や静寂を求め、苦しい修行していましたが、それは自分の本音では
なかったのかもしれません。
本音は静寂を望むのではなく、多くの人を救っていくことだったのですね。
その先に、本当の心の平安が訪れてきたのではないかと思います。
本音で生きるのは、魂の開放に繋がります。
魂が求めていることを知って、見ぬふりしている多くの人がいます。
私もそう。
どれだけ目の前のことに流されてきてしまったか。
だから苦しいのです。
3次元的な苦しみから逃れようとすると、それは結局逃れられず、
ただ苦しいままいくことになります。
苦しさから逃げるのではなく、苦しさを先ず認め、自分の執着を捨て、
周りの縁起に乗っかっていくと、気づきも得られ、いずれ苦しさからも解放されていきます。
私たちが考えている平安とか、幸せとかは、本当の平安とか幸せとは
ちょっと違っているということをお釈迦様のように理解すると、先に進めるのではないかと思います。
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