希望というものの力
希望と願望は違う
以前ブログで、願望と希望は違うと書きました。
願望は〇〇したいなあ。。どこか他者本位。
他力もとても大事ですが、自分の思いがしっかり真ん中にパキンとないと
ダメですよね。
だって折角他力の力を頂いても、
他力の力ももどこに向かったらいいかわからずでしたら、他力の力も空中分解してしまいます。
もったいないことです。
ですから、希望というものが大事になります。
希望は自分が主体
希望は自分がどうしたいか。
私は、が主語にきますね。
これだけは、どんなに日本人の控え目な感じが良いとか
美徳を言っても、譲れないものです。
希望というものの力は実は物凄いのです。
自分がどうしたいかのパワーも生み出しますし
苦しいときの唯一の光にもなります。
一切れのパン
私は現在61歳ですが、私の時代、中学の国語の教科書に載っていた
「一切れのパン」 F・ムンテヤーヌ著/直野 敦訳は、
今でも忘れられず、何かの時に思い出します。
内容は第2次大戦中にルーマニア人の主人公が、敵国ドイツ軍に捕縛され、拉致されます。
列車での移動途中、何人かの仲間と逃げようとします。
列車から離れようとするとき、「ラビ」というユダヤ人が、にハンカチに包まれたパンを渡してくれます。
「このパンは、すぐに食べずできるだけ長く持っているようにしなさい。
苦しくてもパンを一切れ持っていると思うと、がまん強くなるものです。
そして、そのパンはハンカチに包んだまま持っていること。
そのほうが食べてしまおうという誘惑にかられなくてすむから。
わたしも今まで、そうやってずっと持ってきたのです」と。
その後主人公は何百キロも離れた自分の家まで、地獄のような逃亡生活を続けます。
逃亡生活は、何日間もの絶食状態で飢えとの戦いでした。
「殺されてもいいから投降して食べ物を恵んでもらおう」という思いが何度も頭をよぎり、
実際に包みを解こうとして、ハンカチの結び目に手をかけたこともあります。
それでも「もう少しだけ我慢しよう…。そしてこのパンを食べてしまった後、
それでも空腹に我慢が出来なくなったらあきらめよう」そう思い続けて逃亡生活を続けました。
主人公はそうやって国境を越え、家族が待つ我が家までたどり着きました。
長椅子に横になっても眠れもしません。
妻の料理の匂いで主人公は「ラビ」からもらったハンカチの包みをようやく解きました。
「これが僕を救ったんだ…」
家族は尋ねます。
「何がその中に入ってるの?」
「パン一切れさ」
その時、ハンカチから床に落ちたものは「一片の木切れ」だったのです。
最後のシーンがとても衝撃的な内容で、覚えている同年代の方もいるかもしれませんね。
光を放っていけるよう
希望とは、この物語の、一切れのパンのようなものですね。
自分が自分の目的を達するために、ずっと自分を支えてくれる存在です。
やっぱり光です。
私たちは未来に不安を抱えながら、暗闇の中を一筋の光を求めて
歩いていくようなものです。
希望という名の光。光という名の希望。
生きていくのに、希望は必要です。
もっと言えば、希望があるからこそ、先に差し出すこともできるのです。
それは自分が達成することを信じているからできるものでもあります。
私も含めて、私たちは自分を信じる力が必要ですね。
そのための一切れのパンがあるといいですね。
以前、ブログでマリアン・ウイリアムソンの『愛への帰還(A Return to Love)』
の詩を紹介しました。
私の大好きな詩です。
その一部を抜粋します。
「最も大きな恐れとは、私達が不完全であるということではありません。
最も深い恐れとは、私達が計り知れないほど強大な存在であるということです。
私達が一番恐れているのは、私達の闇ではなく、私達の光なのです。」
私たちは自分の中に大きな光をもっていて、実はその力は計り知れないほど
強いのです。
闇の中を歩くような私たちは実は自分の中に大きな計り知れないほどの
光を持っています。
その光を放っていけるよう希望をもって進んでいきましょう。
自分のために、世界のために。
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