人の喜びのために動く尊い女性たち

女性性の開放

沖縄離島に住み人のために生きる

NHKのプロジェクトxにはいつも感動させられる私。

人間ができないだろうと言われているものに、極限まで挑戦していく様、

知恵を絞り、ぶつかりあいながら、一つの大きなプロジェクトが成し遂げられていく時の人間模様、

実際の出来事だけに、その人に敬意を表して、希望を頂きます。

中でも私は、「命の離島へ 母たちの果てなき戦い」は感きわまって泣いてしまいました。

なんのためにここまでやるのか!

それは人のため。

もうこの言葉に尽きます。

そしてそれが命のやり取りであることに、
女性の愛の深さに、強さに涙なくしてはいられなかったです。

立ち上がった100人の女性たち

今も書きながら、涙が出てきて、パソコンの文字が滲んでみえるくらいです。

戦争で、一般市民の多くが戦争に巻き込まれ、戦いを強要され、
県民の4人に一人が亡くなってていると言われる沖縄県
住民を多く巻き込んだ地獄の戦場だった沖縄。

沖縄本島の苦しみは戦後も続くきました。
戦争によって沖縄では水道施設が壊滅していたのもその一つです。

川の水を生活用水にしていたため、皮膚病や結核やマラリアなど感染症がまん延しました。

ですが医師は軍医に駆り出され、3分の2が亡くなっていたので完全に医師不足です。

その窮状に立ち上がったのが100人以上の女性たちだったのです。

沖縄独自の「公衆衛生看護婦」となり、沖縄県にある、50を超える各離島に駐在し、
病気を予防する活動に励んだというのです。

各離島に一人か二人で移り住み、住人を救うために奮闘したというのです。

その実話に私は泣きました。

人のために尊い命を使う

まず立ち上がってきた、集まってきた100人の女性たちの姿に感動しました。
自分よりも人のために動く姿は人を超えたものさえ感じます。

中には養護教員をやめて、公衆衛生看護の勉強をして、幼い子供3人と移り住んだ女性や
他にも教員をやめて、勉強をし、ただ、島民を助けるために移り住んできた女性もいました。

皆さん、人のために、自分の尊い命を使っていこうと決心された方たちばかり。

その生きざまに、人間の美しく素晴らしい局面を見させていただき、感無量です。

ただその道のりは困難を極めました。
毎日毎日ジャングルを歩いて通う家からも、結核の疑いがあっても「周囲に知れると困る」と追い返された
りもしていました。

闇に隠れる患者と家族。

相談するのにも簡単にできない時代。
女性たちは、各離島で、たった一人で、島民のためどうしたらよいかと悩みながら
毎日自分に挑戦していたのです。

そのため、最初は、結核患者がいることを知られにくくするために、幼子を抱えながらも、家に残し、
うす暗くなってからジャングルを通り、通っていた与那覇しづさん(33歳)という方もいました。

与那覇しづさんは、小学校の養護教員をしながら子供3人を一人で育てていた方ですが、
帰ると子供たちはご飯も食べずに寝ていた時もあったようです。

とにかく島民たちに誠実に向き合おう。そのことだけが心にあったそうです。

その教えは看護の学びの時に、琉球政府から派遣されて
女性たち100人を集め、指導していた金城リーダーから常に「誠実」の大切さを教えられていたからです。

そうやっているうちに、島民の心も動き始め、時間をかけながらも、
与那覇さんは島民の信頼を勝ち得て、結核撲滅、ポリオ撲滅に向かいます。

人の喜びを我が喜びとする生き方

戦後の沖縄を支えた女性たちのドラマ。

抑えきれぬ思いに立ち上がったという、その思いとはいったい何なんでしょうか。

与那覇しづさんの場合は、次男さんの感染症ポリオで片足麻痺があったため、
この悲劇を繰り返させたくない、他にそういう子供たちを作りたくないという必死な思いが
自分をそそり立たせたと言います。

小学校教師だった山城ヒロ子さんは、沖縄には赤ん坊の1割が生後1週間以内に
亡くなる島があると聞いて、その数本土の実に3倍。
これはなんとかしなくてはならないと学校に辞表を出して、助産婦の資格をとり、公衆衛生看護の道に
入ったと言います。

その後も我が子を失ってまで島民に尽くす山城ヒロ子さんというような女性までいるのです。

その根底には、ふるさとを救いたいという女性たちの一途な一生懸命の気持ちが誠実という言葉に支えられて
いたのがありありと伝わってきました。

自分たちの幸せだけでなく、自分たちの幸せも考えたら、他の人たちの幸せも大事だと
画面を通して、私には伝わってきます。

人間は人のためにここまでやれるんですね。
しかもそれを支えるのは、他者への思いのみ。

これこそ、人の喜びをわが喜びとできる、本当に素晴らしい生き方ですね。

この生き方こそ、一番尊い生き方ですと中村天風先生はおっしゃっていますが

まさに地でいく女性たちです。

与那覇しづさんは夢中で島民の為に動き、子育てを十分にできなかったことを後に申し訳ないと思いますが、
3人の子供たちは、寂しいけれど、人のために動く母の生き様を、背中をみて、
自分たちでしっかりしようと思っていたようです。

その後、長女は美容師になり店を構え、長男は光ファイバー技術の第1人者となり、
琉球大学の教授となり、次男はポリオのため片足麻痺ながら、アメリカに単身で渡り、医者になるのです。
がん撲滅に向かいながら、お金のない人からはお金をもらわない立派な医師になります。

最後も考えさせられました。

与那覇しづさんは背中で、人のためにコツコツ懸命に生きる生き様を見せるだけの
生き方でしたが、子供たちは立派に独立します。

愛情をもち、自分も誠実を胸に一生懸命に生きる。

これも子育ての大切な極意なんですね。

この世に生まれた命は、魂の目的に向かって、自分の体を使って前進できれば幸せだと
私は思っています。

でもみんな目的がわからない。余計な情報も舞い込む。

この女性たちはまさに、自分の命を奮い立たせながら生きました。
魂の目的を果たしたのだと思います。
美しい生き方です。

私もそうありたいです。

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