女性性と男性性

女性の自立

女性性ってなに?

「女性性」って騒がれているけれど、「女性性」っていったいなんでしょう?

女性がもつ本来の力のことだと私は思っています。

男性の中にも[女性性」はあります。
肉体の性別とは別に持つ、精神的な部分における「女性らしさ」や「男性らしさ」

言葉で表すと「女性性」とは柔らかさ、愛、優しさ、思いやり、バランス、調和、受容、包容力、共感、流れに任せる、頼る、甘える、育てる,美しさなど。

「男性性」を表すと、責任、権力、支配、決断、競争、一貫性、戦闘、暴力、解決、成功、与える、論理的思考、リーダーシップ性、パワーなど。

だから女性の中に「女性性」もあれば「男性性」もあります。

女性でも権力が好きな方もいます。
パワーのある方もいます。
つまりは女性の中の「男性性」。

反対に男性でも、優しさや思いやりのある方はたくさんいます。
それが男性の中の「女性性」。

ですから、「男性性」「女性性」は男女どちらにもあるのです。
これらのバランスがとれると男性も女性ももっとイキイキと輝くのは間違いないことだと信じています。

私が「女性性」開放に目覚めるまで

私たちは、女性はこうあるべき、男性はこうあるべきの社会の中を生きてきました。

明治時代からの家父長制度のもと、女性はかなり地位を下げられ、生きてきました。

その影響があちこちに起きています。
私も知らず知らずのうちに陥っていた「女性性」を閉じていた時から、目覚めるまでを数日にわたって、つらつらと書いていこうと思います。

私の「女性性」は生まれる前から閉じていたように思います。

私の両親は子供を大事にする、愛をもった人たちでした。
ですが、父は酔うと人が変わったのです。
それは母への暴力となって表れ、私がおなかの中にいたとき、父は母を包丁を持って追いかけました。
母は足が速かったので、逃げ切って父が落ち着くまで隠れていました。

後に母から聞いたことですが、もしかしたら私は母のおなかの中で覚えていたのかもしれません。
生まれてからも父は酔うと母への暴力がありました。

私が5歳の頃、父の暴力が終わった後、母が妹を抱っこしながら血を流した自分の姿が映る鏡を呆然と見ていたこと。
小学生の時の冬の寒い日に、「洗面器に水を入れて持ってきて、頭を冷やせ」と言われた母が自分で洗面器に水を入れて運んできて、自分でつけていた姿など。

様々な状況が私の脳裏から今でも離れません。

閉じていた女性性、男性性

父も母も苦しかったのだと思います。
ストレスいっぱいの父。
あたるのはすべて母。

それを止められない私。

子供時代の私は、優しさ、愛、思いやりを父母に発揮できず、「女性性」はその都度閉じていたと思います。

また父に立ち向かえるような私の「男性性」も深く閉じていたと思います。

ただお誕生日におねだりして買ってもらった「イエス・キリスト」の本を読み漁って「正義」という言葉を口走っていたのだけは覚えています。
そのころからウルトラマン、仮面ライダーなど「ヒーローもの」が大好きで、夜寝る前はいつも自分が正義の味方になって地球の人々を助けるために、強くなるための準備をする想像をしていました。

通常なら、悪い敵と戦って勝つまで想像していいものを、いつも強くなる準備で寝入ってしまうのです。
そのころは「なんでここで寝てしまうのだろう?」
折角いいところなのに。。と不思議でしたが、今なら理由がよくわかります。

私は友達も多く、周りから見れば、私は明るく、優しいイメージでした。
ですが、本当の私は母を助けられない、暴力の怖い子供だったというのが原点にあります。

その後もその時のことが忘れていても、どうしてもいろいろなところに影響していくのでした。

女性性も男性性も発揮でき、バランスがとれれば。。。

私は何も男性を非難しているわけではありません。
だって私も「女性性」を目覚めさせ、「男性性」ももっと発揮したいからです。

「男性性」も「女性性」も誰もが持っているんですよ。

そのバランスが良くなればみんな輝きます。

なぜなら、男性性と女性性のバランスが取れると、本来の自分が真ん中に入ります。

例えば女性で依存力の強い人が、考えすぎて行動できなかったのがなくなります。

男性で暴力的な傾向が強い人が、感情的にふるまったりすることがなくなっていきます。

だからみんなが平和的になり、調和的になり、それぞれが自分の人生に責任をもって動きます。
そうなるとその人の持つ特質が活きてくるのです。

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