意識と健康

食べ物

覚えていますか?

2018年ももう12月中旬。
あと僅かで2019年です。

もう1年が過ぎていくのですね。
早いですね。

先日参加した「なげたつセミナー」でのことです。
何も手帳やスケジュールを見ないで、3分くらいで、2018年の1月はどんなことをした、2月は何をしたと毎月の内容を特記することだけでも12か月間書いてみてくださいと言われました。

3分はあっという間に過ぎてしまい、かなり思い出せない自分がいました。

ただ単に物忘れとかという問題ではなく(それももちろんあるでしょう)、それだけ意識して生活していないんだなということに愕然としました。

意識していく

そんなにも意識できずに1日1日、1か月1か月過ごしてしまうなんて、なんて勿体ないんだろう。

私の大切な人生なのに、勿体なさすぎて情けないです。

あまりにも生きるのに必死だったので、忘れてしまったというのなら、それもいいでしょう。
生を精いっぱい全うしている感じがします。

でも、そうでもないのに意識できていないのは、それだけ日々精いっぱい生きていないのかななんて思ってしまいます。

だから今日からは少しでも、ただダラダラと、与えられたことをやるのではなくいきたいです。

やっていることを意識して、生きていきたいと思います。

子供の時から不健康

私がこうして健康に目覚めて、健康関係の仕事をしている今があるのは、20代、30代と4度の手術をしたのがきっかけです。

でもそれ以前に子供の頃からのことを思い起こすと「とよみちゃん、おしっこ検査ダメだって~!」と教室でみんなが振り返るくらい大きな声で、保健委員と称する嫌味な女の子が叫んでいた時から、自覚していました。

毎回学校の検査に引っ掛かり、青白い顔した子達と一緒に(自分もそうだったのでしょう)保健所や病院に行っていました。

何かしら悪いといわれていた小学生時代。
結核も患いました。

ハーモニカが最後まで吹けなかったのは、ハーモニカを習い始めるとき風邪でかなりの日数休んでしまったためだと今でも思い込んでいます。

最後までハーモニカのテストがダメで苦しかったです。

縦笛になったときは風邪ひいて学校を休んでいないかったので、上手にできたのだと思っているくらいです。

4度の手術は冷え、栄養不足と毒のたまりすぎ

それでも高校時代は伝統校の厳しい剣道部で3年間頑張りました。

大学時代は4年間、父が亡くなったので、練馬区で、朝日新聞奨学生として、住み込みで朝夕と新聞を300部配りました。
かなり体がきつかったですが、4年間やり通して、表彰されました。

集金や次の新聞をとってもらう仕事などでも生活費をたて、元気に過ごしました。

でも雨や雪などでも休めず、寒い中2時間から3時間配っていたからなのか、20代後半から体調がおかしくなっていったのです。

寒い中やっていたのもありますが、それよりはもっと大きな原因があります。

新聞配達のストレスで、物凄く甘いものを食べました。
新聞配達でたくさんの団地の階段を一段一段上がりながら、辛くて、これが終わったら、あそこでお菓子買うといつも心に決めていました。

チョコレート、アイス、パン、いつも大量に食べ、手放せなかったです。
友人たちが驚くほど食べていました。

その分、野菜やたんぱく質も摂らず、今思えば最低の食生活です。
お陰で体重も10キロも増え、体も重かったです。
様々な無茶なダイエットもしましたが、いつも失敗に終わっていました。

体重は大学を卒業し、就職しただけで、6キロも自然と戻りました。
やはりストレス食いだったようです。

そして、その後体を壊し、4度も手術を重ねてやっと、甘いものの食べ過ぎ、不規則な食生活が大きな原因だと40代に入り気づくのです。

食生活においては、栄養を摂っているようで食べ物の中に既に栄養が入っていないことがわかり、栄養不足を知ります。

そして病気や老化の要因に繋がっていく、現代は逃れならいほどの毒の多い環境だとも知るのです。
ですから解毒も重要ですね。

でも40代でも気づいて良かったと思います。
気づかなければ、もっと大きな病気になる可能性を秘めています。

だからすべてに感謝なのです。

そして気づくことで、意識していくことが大事なのです。

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